原点からのデザイナー
琉球hello!の写真を創るデザイン性を紐解いていけば、元々デザイン会社という会社自体の生い立ちが大きく影響している。会社創業時、結婚式場のパンフレットや名刺、広告媒体などの印刷デザインを一手に引き受けていた。さらにオーナー個人的な仕事として料理の撮影やブライダルフェアイベントの企画から実際の施工も手がけデザインという文化の中で多忙を極めていた。アドビイラストレータ5.5から8.0に変わった時代。
ある日、スタッフから「今からは動画の時代です」その一言で世界観が一変した。それまでお二人を追っかけて撮ってた「撮るビデオ」から披露宴中に上映する演出性をもった「魅せる映像」へと変えて行った。今で言うオープニングムービーやエンドロールムービー時代の幕開けに僕らは大きく関わった。わかる方にはわかるだろうけど、アドビプレミア5.0の時代。当時のPCはまったく非力で、コマ落ち、音飛びは当たり前、5分の映像でもレンダリングに2日かかり、次の朝に出社したらPCが途中で止まってる始末。
映像クリエーター
僕らが作り出した映像は売れた。製作が追いつかないくらい売れた。そんな時に写真スタジオを手に入れる事が出来た。ずっとデザイナーだったので写真は外注カメラマンに頼んでいた。カメラマンの写真をデザインして「デザインアルバム」という名前で販売していた。それはそれは当時斬新で、新郎新婦のご両親がどん引きするくらい斬新でした(笑)今で言えばどうってことない感じなんですが、その当時はね。
「なんでウェディングカメラマンって古くさい写真撮るんだ!」(申し訳ありません!若気の至りです)って外注カメラマンからカメラを取り上げるまでにそう時間はかからなかったです。ライティングやポーズ付けを学び、違うカメラマンに教えてもらいながら満足いく写真を自分自身で撮りだしたのです。やっと頭の中で描いた「デザインとウェディングフォト」が形になったのです。そこで「デザインアルバム」から「グラフィックアルバム」という名前に変えました。今でこそどうでもいいこだわりですが(笑)
たどり着いたらフォトグラファー
自分で写真を撮れるようになると水を得た魚のように動き出します。「人の制約」から解き放たれる訳なので、やりたいことをドンドン実践していくわけです。デザイン+映像+写真という三本柱を得た僕らは破竹の勢いで取引式場やホテルを増やしていきます。